2021年5月16日の神戸新聞(三田版)朝刊「ひとはく研究員だより」のコーナーに下記の記事が掲載されました。
5月16日は「旅の日」-松尾芭蕉が「奥のほそ道」へと旅立った日にちなむそうです。
行く先々で句を詠んだ芭蕉の旅は歩きでしたが、今では私たちはサイクリングやドライブ、また車窓からも、その風景を楽しむことができます。旅において、移動はどこかへ訪れるための手段であると同時に、移動自体が目的にもなります。
環境配慮への意識の高まりやテレワークの進展などを背景に、田舎暮らしや地方移住を検討する人、企業が増えていると言われています。
地方での暮らしにおいて、日常的な移動手段は自家用車に依存しています。車の運転が苦手であることを理由に移住を踏みとどまる人もいます。暮らしの足が自家用車に限られていることが、さまざまな問題を生み出しているのです。
こうした問題への対応は、買い物や通院といった生活する上で最低限必要なニーズをいかに満たすか、といった議論に終始しがちです。ただその先には、移動自体が目的となるような公共交通の整備という視点や、どこで暮らしていても自由に移動できることが、暮らしの豊かさにつながるという発想が重要になるのではないでしょうか。

世を旅に 代掻(しろか)く小田の 行きもどり
私の人生は往(い)ったり来たりの、それこそあの小田の代かき作業のようなものでありました、と田んぼで働く農夫の姿を、旅をして過ごす自分の人生と重ねて詠んだ芭蕉の句です。
最近ではトラクターを使うことが多くなり、当時と比べて随分と楽になった代かき作業ですが、手作業での代かきは田んぼの中を往復する途方もない重労働でした。この句は旅情を掻き立てるとともに、まさに目的を持たない移動が持つ豊かさと、同時に儚(はかな)さを感じさせてくれます。
田が水を湛(たた)え美しく景色を映す季節に、脈々と受け継がれてきた田んぼやそこでの営みに思いを馳(は)せると、また違った景色が見えてきます。遠方への外出が制限される中、身近な場所も記憶や歴史のフィルターを重ねてみると、特別な見え方をすることがあり、楽しめるのでおすすめです。
そして「旅の心」を大切に、移動そのものを気兼ねなく楽しめる日常が戻ってくることを願ってやみません。
<後記>
交通(移動)の話題と農業・農村の話題に、時事も絡めて言及でき、個人的にはとても満足しております。